天橋立ワイン
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円通寺
大悲山円通寺
[幡枝村にあり]禅宗にして、仏殿の本尊は聖観音。[坐像三尺許、定朝の作なり]大悲円通の額は後水尾院※1の宸翰なり。
潮音堂の本尊は准胝観音。[坐像の唐作なり]又西国卅三所の観音を安置す。此地はじめは円光院文英尼公※2の宅地なり、則尼公は園左大臣基任公の女なり、寺となす時は妙心寺龍泉の祖実性禅師※3を開山となす。後水尾院在位の御時御祈願所となし給へり、御宸翰御衣等を賜て寺鎮となすなり。同帝行幸の御茶亭あり。三猿堂、霊泉庵は門前の南なる丘にありて、円光院塔は本堂のひがし※4にあり。[延宝八年十一月十一日薨じ給ふ、年七十二歳]都て此地の庭造小堀遠州の好にして、東の方より比叡山を庭中へ採、奇景真妙にして、盤陀石という名石あり、又白華庵は仏殿の北にあり、あるは桜花数々ありて、春は一入にかほりて寂寥たる花の陰に都下の騒人群つつ来りて、蘇晋が酔中に迯禅を愛する相※5ともいふべき。
(「拾遺都名所図会 巻三 後白虎右玄武」※巻三 後玄武右白虎に円通寺潮音堂の絵図あり。)
円通寺(正式には臨済宗妙心寺派 大悲山圓通寺)は車のすれ違いが困難な道の奥にある。私が大学2回生の頃、卒業されるH先輩と当時大学院生のM先輩の車で出かけた。この2人と私の1つ上のT先輩は、私の寺めぐりの先達である。
その当時、私は眼前の庭のみを拝観してきた。加えて、私の拝観時の態度は、入口で頂くパンフレットを追ってばかりであった。つまり、“おのぼりさん”だったのだ。正直、直前に先輩方の会話に会った「借景」というものが何なのか、全くわかっていなかった。恐らく、それほど多くはないが、円通寺以前に様々拝観してきた寺でも、少なくとも「借景」はあったはずである。しかし、私のなかでは、それは「遠くにある山が見えている」程度の認識しかしなかったため、あまり記憶には残っていなかった。
つまり、円通寺にて「借景」に初めて出会ったのである。
季節は三月上旬。折りしも、時雨が過ぎ、空は晴れ渡っていた。私は車内で、初めて聞く寺で、観光地図を見てもあまり大きくなく、岩倉よりも更に奥、とても辺鄙なところにあるこの寺に行くなんて不思議な選択だと思っていた。到着して、何か花があるかもしれないと期待し山門をくぐったが、門前には時期的に南天が首を垂れているだけだった。
薄暗い廊下を渡り、客殿正面より振り仰ぐと・・・。
眼の前には、比叡山があった。
視界をさえぎるものも無く、この千年王城を守り続けてきた、謹厳なる比叡山がそこにあった。
更に驚いたことには、正面の小さく見える庭が、実は50坪もあり、比叡山と庭を分ける役割をしているまぜ垣の高さは、なんと、1.6メートルもあることだった。今まで、狭い土地を広く見せる庭には出会ってきたが、小さく見せる庭というのは初めてだった。なんと言う贅沢なのであろう。この庭の全てが、「借景」である比叡山のための演出なのである。否、この庭が無ければ、比叡山はここまで見事ではなかったのかもしれない。
天候や光の差し具合、四季折々の比叡山の表情によって、庭も表情を変える。眺める比叡山は時々刻々と表情を変え、一分一秒とて同じ表情ではない。年経た岩、苔むした庭土と比叡山。全てはそこに“ある”のに。円通寺の庭はどこまでも、常住であり、且つ、どこまでも無常なのである。
円通寺はどの季節も素晴らしいが、個人的にはやはり、雪の比叡山が一番美しいと思う。
(故に都の冨士という)比叡山の謹厳さが最もよく引き立つのではないだろうか。雪を頂いて尚、古へよりの霊山の厳かさが際立つのである。
しかし、比叡山自身は常住であっても、開発の波は押し寄せる。これまでご住職が懸命に守ってこられたが、円通寺から比叡山の借景が消えるのも、もう遠くない。(2005年3月より開発が認められ、着工らしい。因って、今まで撮影禁止だったのを許可された。)人の世はやはり無常、いや、無情と言うべきか。
余談だが、ここの寺内放送を常々いい声だなと聞いていた。又、「比叡山をわがもののように…」というくだりは、何気なくウケた。誰が放送しているのかと拝観するたびに、言っていた。ある日、円通寺に行くと、一人のお坊様が庭の説明をしておられた。その声、その話し方、説明文の一字一句全てがテープの内容と全く同じだった。ある意味すごい。なんと、寺内放送の声の主はご住職だったのである。直接お話しすることはかなわなかったが、他の参拝客へのご対応や真冬に素足のご様子を見、そこはかとなく、ご住職に冬の比叡山を感じた。
臨済宗妙心寺派 大悲山圓通寺
〒606-0015
京都府京都市左京区岩倉幡枝町389
TEL075-781-1875
拝観時間 4~11月:10:00~16:30
12~3月:10:00~16:00
拝観料:大人500円(小学生拝観不可)
最寄り駅:市バス深泥池・京都バス円通寺道
参考
写真:2005年3月4日 円通寺にて撮影
資料:新修京都叢書 第7巻 拾遺都名所図絵 臨川書店
語句説明:
※1 第108代天皇。 後陽成天皇の第三皇子。享年85
歳(歴代天皇の中でかなりの長生き。)父親は弟を
かわいがり(弟八条宮智仁親王に譲位をしたいともめ、
後水尾天皇に譲位後も書類を引き継がないなど意地
悪をした。)、即位をしたらしたで、ご寵妃と別れさせられ
(およつご寮人。梅宮:文智女王、鴨宮:早逝の母)、
諸法度違反等で幕府より干渉されつくし(近臣流罪、
二代将軍徳川秀忠娘和子入内、紫衣事件、幕府使者
として無位の春日の局の参内)た挙げ句、
「やってられるかぁぁぁ!!」といきなり譲位。
以後、院政敢行。立花・和歌・離宮造営
(修学院離宮を造営)に情熱を注ぐ。
(現実逃避なのかしら。)
※2 霊元天皇(後水尾天皇の第19皇子)の乳母。
※3 「京羽二重 第4巻」には『後光明院勅願寺開山妙心寺ノ禿翁和尚』
※4 現在は本殿・客殿・御幸御殿・庫裡・鐘楼のみ。
後水尾天院の幡枝離宮下茶屋を下賜される。
(離宮を造るには、水の便が悪く、池泉式庭園が
造営出来なかったため。)
※5 杜甫:「飲中八仙歌」
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