2008.06.06

ブックレビュー その1 『西の魔女が死んだ』

注)ネタバレが大いにあります。

「中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、
季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。
西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。
喜びも希望も、もちろん幸せも…。
その後のまいの物語『渡りの一日』併録」

この本と出会ったのは、私が中学の2年生である。その夏の読書感想文課題推薦図書だった。

「悪魔を防ぐためにも、魔女になるためにも、いちばん大切なのは、意志の力。自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力です。」70p
「これは魔女修行のいちばん大事なレッスンの一つです。魔女は自分の直観を大事にしなければなりません。でも、その直観に取り付かれてはなりません。そうなると、それはもう、激しい思い込み、妄想となって、その人自身を支配してしまうのです。直観は直観として、心のどこかにしまっておきなさい。そのうち、それが真実であるかどうか分かるときがくるでしょう」138p


おばあちゃんは、魔女修行を通じて、降り積む降り積む知識や経験をまいに移してゆく。
おばあちゃんの言葉や愛は、暗闇にほとりと灯る明かりであり、人生の指針だ。
それらに触れることによって、まいは生きていくという力や自分としっかりと向きあうという意志を培ってゆく。
まいの成長を描くと同時に、修復も描き(癒しとは言いたくない)、物語は2人の約束でラストを迎える。


題名や冒頭にあるように、最初から最後までこの本は「おばあちゃんの死」という1つの終りをもってきている。
「魂は身体をもつことによってしか物事を体験できないし、体験によってしか、魂は成長できないんですよ。この世に生を受けるっていうのは魂にとっては願ってもないビッグチャンスというわけです。(中略)魂は成長したがっているのです」119p
死を定義することは難しい。全ての人に平等に降りかかる重い事実であるにもかかわらず。
だからこそ、人生を愛しいと哀しいと思うのかもしれない。


ギニアのことわざで「1人の老人が死んだら大きな図書館1つなくすのと同じ」というのがある。ある漫画では、そんなに大げさなものではないと、“昔取った杵柄”をもじって「きねづかん」と呼ぶ。(参考:「きねづかん」田村由美 小学館)
経験や記憶を脳に心に折りたたんで、人は年を重ね、知恵を次代に手渡してゆく。

図書館には様々な資料があり、全ての資料には利用者がいる。どれほど利用がない資料でも、図書館に所蔵されている限り、ある時、ひょいと日の目を見ることもある。
それらの蔵書は全て、図書館の経験であり、記憶なのだ。まるで人生のように。
大学図書館に勤めている私は、業務上、学生たちへの講義も受け持つ。若者の読書離れが叫ばれて久しいが、現在、実際に学生達が図書館に来ないようになってきている。職場の大学図書館は、図書カードまでもが申告制だ。学生の中には、卒業するまで一度も図書館に寄りつかない者もいる。だから、最初の授業で必ずこう言っている。
「図書館の本は、あなた達の授業料で購入している。高い授業料を払ったからには、もとをしっかりとりなさい。正しく利用し尽くしなさい」と。
それが図書館へ訪れるきっかけになればよい。
『すべての本をその読者に』ランガナタンの5法則のもと、全ての司書は存在している。


ブックレビューをあげたいと思いながら、なかなかあげられなかったのには訳がある。
最初のレビューは「西の魔女が死んだ」にしようと決めていたのだが、これを紹介するには、私の事を書かねばならないからだ。

私は小学校3年生~4年生まで、いじめにあっていた。幼い頃は、学校のクラスが世界の全てだ。そして、小学校がそのまま繰り上がるような中学へは、その小学校の負の遺産を引きずることになる。「彼女、昔いじめられていたんだよ」という言葉は呪いとなって、絡みつく。

「うん、簡単だよ。みんなでだれか一人を敵に決めればいいんだもの」 160p
「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」162p
あの頃、この本を読んで、おばあちゃんやまいの言葉がすとんと心に落ちた。ああ、そうなのだと。まいが死を考えるようになったのは、もしかすればこの登校拒否にかかわっているのかもしれない。

確かにどうしても合わない人というのもあるのだ。飢えたライオンの檻の横に、鍵があるから、檻があるから大丈夫だと言いきかせて羊を同居させても、羊はちっとも安らげない。
そういう場合は距離をとる。仕方がないのだ。接触する機会が減ると、人は希釈される。


幸いなことに、高校・大学では友に恵まれた。幼なじみ達もしかり。
そして、今では私は世界は1つではないと知っている。
頤をあげ、私は私であるという強さも少しは身につけた。
何より、闇の中の光明のように、伸べてくれる人々の手や結んでくれる縁、愛してくれる思いは、真綿のように優しく、尊い。
「まいは、小さいころからおばあちゃんが大好きだった。実際『おばあちゃん、大好き』と、事あるごとに連発した。(中略)そういうとき、おばあちゃんはいつも微笑んで、『アイ・ノウ』知っていますよ、と応えるのだった。」17p
自分が愛していることを、相手が知ってくれている。これこそ、本当の幸福と言えるのではないだろうか。


随分と色々話が逸れたが、「西の魔女が死んだ」は、どうやら、夏に映画になるらしい。思い入れが強い分、映像化が怖い。内容を見て、自分の抱いているイメージと違っていればと思うと何とも切ないのだ。好きなエピソードが削られていたらどうしようとか、そんな人物や設定は原作に無いのよ!とか。見に行きたいような、行きたくないような。
只今、もの凄く葛藤中である(笑)。

参考

「西の魔女が死んだ」 梨木香歩 新潮文庫

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