2006.09.01

台湾雑記(6) 初台湾2003 中正紀念堂と台湾の徴兵制

台北車站からMRT淡水線にて中正紀念堂へ。

中正紀念堂とは、中正公園内にある、初代総統蒋介石の白い基台に青い屋根の紀念堂だ。公園はとても広く、同公園内には国家戯劇院と国家音楽庁(演劇・音楽を勉強する学校)がある。こちらは対照的に朱の古典形式建物だ。
死亡時の年齢と同じ89段の階段を上ると、衛兵に守られた巨大な蒋介石の座像があり、館内には、遺品や資料が博物館のように並んでいる。

丁度、最期の衛兵閉場式(国旗を降ろしていた)を見ることが出来た。
小雨が降っていたせいか、余り見学の人はいない。Tちゃんも濡れるのが嫌だと先に紀念堂へ行ってしまった。S君は私に付き合い、色々説明をしてくれた。
衛兵は統制のとれた動きで行進、国旗を下げ帰っていく。蒋介石座像前の衛兵も微動だにせず、瞬きもしない。汗が流れたら拭き、携帯している銃の位置や服装の乱れは逐一直す側にそれだけの為にいる世話役の上官がいた。
彼らを見ると随分と若い。S君が彼らは徴兵制で来て居るんだよと教えてくれた。ここにいるのは徴兵の中でもエリートなんだそうだ。資格として、五体満足であること、眼鏡もダメ、身長が180センチ以上であること、家族に犯罪者がいないことなど条件が色々ある。今ここにいるのは海軍だそうだ。

台湾の徴兵制については、時々S君から聞いていた。18歳以上の台湾国籍の男子は2年間徴兵へ行かなければならない。徴兵が終わらないと外国へも行けないし、就職も出来ない。そして、陸海空軍どこへ行くかはくじ引き!なんだそうだ。S君は高校卒業後、陸軍での徴兵を済ませてから、日本へ留学してきた。

Tちゃんのお国の韓国も徴兵制がある。テレビでは韓国スターが徴兵へ行くかでもめ、彼女自身、徴兵へ行ってない男は男じゃないと常々言っている。(台湾でもそうだが、そのために外国籍をとったりするそうだ。だが、それをしてしまうと後々国での生活が面倒らしい。また、女の子が嫌うので、結婚も出来にくいそう。)

18歳以上というと、日本では大学生か社会人。最も気力・体力も充実して、遊びに仕事に女の子とのお付き合いに励んでいる年代だ。その時期に一種特殊な状態で隔離され、肉体的にも精神的にも大変で危険な軍隊へ行く。実際にS君の脚は、徴兵中の大怪我で右足半分の皮膚の色が変わってしまっている。(彼の場合は、訓練中の事故ではなく、休暇中に交通事故に遭った。徴兵中だったため軍事病院に担ぎ込まれ、荒っぽい手術の結果、こうなった。)

同年代で、あまりにも違っている。それがいいとか悪いとか、そういうのではなく、日本人の私は聞いてみたくなった。
私:「徴兵制について、どう思っているの?」

S君は少し黙り、答えてくれた。

S:「正直に言って、はっきりした答えは持っていません。確かにマイナスなこと多いです。例えば、仕事でIT関連などですと、2年間も現場にいないとと取り残されます。お客さんも逃げてしまうかもしれません。彼女や家族や友人とも過ごせなくなるし、大学で研究をするなら、勉強も追いつかないかも。それに、やはり危険ですから。ですが、自分を見つめたり、自分の国というものを把握するには、とてもいい機会です。実際に攻めてこられたら、台湾の軍事力では3時間も持たないでしょう。(複雑なお国事情で、仮想敵国はかの国。)それを身をもって考えさせられます。ですから、そうならないように、経済的、文化的、政治的にも成長しなければと思います。まぁ、そこまで真面目ではないですが(笑)。もし、日本でいけこやTちゃんが痴漢にあっても、守ってあげられる自負はありますよ~。」

照れたのか最期の方は少し笑いながらだった。
けれど、普段、明るく冗談をいうS君のふと見せた表情が、とても印象に残った。

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2006.08.03

台湾雑記(5) 初台湾2003 蓮霧との出会い

PM5:00頃 荷物を置いて、宿を出る。私たちが荷物を片づけている間、小腹の空いたS君が、宿の前にあるお店で「大腸麺線」を食べながら待ってくれていた。ちょっと味見させてもらう。スープは茶色でとろみがあり、よく煮込まれたモツが入っている。麺は米の短い細麺だ。入っていたモツも臭みが無く、上にいっぱいかけられた香菜といい感じである。しかし、麺モノをレンゲで食べるのは食べやすいのか食べにくいのか…。

台北駅へ移動。駅前に果物屋さんが小さな屋台を出していた。
「これは『蓮霧』といいます。日本にはないもの。いけこは林檎が好きだから、きっとこれも好き。」
と、S君が、林檎のような赤い丸みのある三角形の果物を買ってくれた。
これが、私が愛して止まない「蓮霧」との初めての出会いであった。私は、台湾でマンゴー・釈迦頭・グァバ・パパイアやら他の果物は色々食べたけれど、「蓮霧」に優るものはないと思っている。(この後、棗にも出会うが、やはり、一等は『蓮霧』)
実を割ると、皮の赤とは対照的な青みがかった白の果肉が現れる。味は、林檎と梨を足して、甘みを淡く淡くしたような感じ。しゃくしゃくとした歯ごたえ、瑞々しい爽やかな甘さ。暑い暑い台湾で、「蓮霧」ほど清涼感を纏った食べ物は無いのではなかろうか。涼しの美味である。


Renbu1

参考 

写真:2005年4月30日 高雄友人宅にて 蓮霧

蓮霧:フトモモ科フトモモ属の常緑小高木。
    学名 Syzygium Samarangense
    英名 Wax jambu, Java apple
    原産地はマレー半島。台湾、インド、フィリピン、マレーシアなど亜熱帯〜熱帯気候で栽培。
    台湾へは17世紀頃、オランダより持ち込まれる。
    「南国美眉・頂上・透紅佳人・綺羅香・黒珍珠」などの種がある。
   

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2006.07.10

台湾雑記(4) 初台湾2003 宿決定

歩道橋を渡り、承徳路一段?から細い道を東へ少し。路地へ踏み込むと、雰囲気が変わる。恥ずかしながら、台湾の予備知識が一切無かったので、見るもの・聞くもの・嗅ぐもの(笑)に軽くカルチャーショックを受けてしまった。

道路はかろうじて舗装をされているが、穴だらけ、水たまりだらけ。見上げると、赤・黄色が主体の大きな看板が所狭しと並び、小さな屋台がぽつり、ぽつりとある。雨を避けるように、歩道では野菜売りのおばさんが数人、黙々と売り物の葉野菜を広げている。そして、日本ではあまり見かけなくなった野良わんこがうろうろしている。(台湾の野良わんこは皆、凄く人なつっこく、この時も、尻尾がふっさふさの黒いわんこが寄ってきた。)歩道に沿ってずらっと停められているバイクの列(駐車の数が半端ではない。横縦列駐車はあたりまえだ。人はバイクをよけて通行している。)、檳榔売りのおじさん(目が合うと、にやっと笑われたその口内が真っ赤で、仰天。慌ててS君に解説を求める。近くに長距離バスがあるそうで、運転中の眠気ざましに噛むそう。)、どこからか漂う日本人には馴染みの無いかおり(臭豆腐のにおい。)と、少し歩いただけで、目を引くものばかりだ。
宿はそのまっただ中にあった。そして、看板には、おもいっきり「休・憩」の文字が!!
(台湾では、お手頃な宿では、その手のホテルとかねているところ有り。要は、その宿の雰囲気次第。)

PM4:00過ぎ、宿決定。フロントは3階のようである。古めかしいエレベーターに乗り込むと、ボタンが故障しており、点灯しない。事故があったら嫌なので、仕方なく階段で上がる。1・2階は洗濯物が廊下に渡してあったり、人の気配が微かにする。何故か、床屋の残骸などが放置され、廊下は暗い。一瞬廃墟?と疑う。宿が有るのか不安になりながら、蛍光灯の割れた階段を上る。
3階到着。意外とフロントは明るく、少しほっとする。狭いロビーでは、フロントのおばさんの孫なのか、3歳くらいの男の子と女の子が走り回っている。おじさんは私たちの方を見向きもせず、新聞を片手にテレビ鑑賞中だ。なんだか、人様のお家に上がり込んだ感じで気まずい。S君が交渉している間、Tちゃんと子どもをかまいつつ、待つ。ダブルの部屋しか空いていないとのことだったので、取り敢えず、2部屋頼む。一室500元だ。
(S君、後に合流する弟さんは大柄なので、結局別にもう一部屋取った。3部屋取ったら、480元にまけてくれた。)

この時ほど、デジカメを持っていかなかったことを悔やんだことはない。是非、記録に残しておきたかった!!部屋はとても狭く、ベッドの横に荷物を置くと、足の踏み場がない。窓はもちろん無い。一応、ユニットバス、アメニティ無し。ベッドは、これはシングルベッドだろうという大きさ。そして、部屋には似合わないくらいでかいテレビ、セロテープで補強済み(笑)。だが、きちんと掃除はしてあり、シーツも洗濯済みのぱりっとしたものだったのだ。難を言えば、ドアが床から上約5センチくらい開いていることだろうか…。
(翌年行くと、道路は綺麗に舗装され、小さな屋台・泊まった宿は全て無くなっていた。)

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2006.07.06

台湾雑記(3) 初台湾2003 宿探し

PM2:20 ぐったり(私だけ)してフロントを出る。雨も激しくなってきた。しかし、これから文字通り、足でホテルを探すのだ。Tちゃんが、台北YHのフロントから宿パンフレットみたいなものを強奪してきていた。何時の間に…、恐るべし韓国娘。

取り敢えず、照会してくれた以外のホテルをあたる。だが、この日、何があったのか知らないが、ホテルは軒並み満室。10軒目くらいで、私が寒さと荷物の重さに音を上げ、予算超過分を出すので、宿のグレードを上げようと提案するが、敢え無く却下される。しかし、ついに、20軒目くらいで、Tちゃんキレる。いきなりスーパーに駆け込み、台湾ビールを購入し、目の前にいた何やら焼いているおじさんから、胡椒餅?を3つ買う。マッコリの国で育った彼女は酒豪だ。立て続けに2本あおる。私も飲まなきゃやってられない気分だったので、お相伴に預かる。胡椒餅売りのおじさんは、突然目の前で始まった、女二人の宴会に明らかに困惑気味だ。
記念すべき私の初台湾食は、正体不明の胡椒餅と台湾ビールとなった。

結構な雨の中、歩道橋の下でビールをかっくらう私たち。飲んでいる間、私の荷物を持ってくれている下戸のS君。いつもの日本での構図だ。しかし、ここは台湾。加えて、宿すら決まってない。なんかもう、可笑しくなってしまって、つい、吹き出してしまった。
Tちゃん(以下T):「何ですか。(彼女もつられて笑い出す)」
私:「いやいや、出国でも失敗したし、飛行機も遅らせる、宿は決まらない…。それなのに、この状況下で飲んでいる自分に、笑えてきてしまって。」
T:「確かに、凄い1日でしたね。この際、思いっきりネタになるような宿を取りますか!!」
私:「いいね!!こんな経験、二度とないしね!!」
T:「あ、丁度道路の向こう側に、500元というとこがありますよ。そこにしてしまいますか!!」
私:「いいんじゃない、どうせ、寝るだけ、1泊だけだし。」
二人:「「では、決定~!!」」
その時、私たちは、ちょっと酔っぱらっていたのかもしれない。女性だし、やめておいたほうがいいと渋るS君をせき立てて、私たちは台北駅の歩道橋を渡った。

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2006.06.06

台湾雑記(2) 初台湾2003 台北市内到着

1日目 午後 雨 空港→台北市内

AM10:35、EG211にて、関空を発つ。機内はとても空いていて、どうやら、私と20名ほどの社員旅行の方々のみのようである。入国や、友人達に会えるかの不安、それに、一人で飛行機に乗るということに緊張してしまい、本を持ってきたけれど、読んでいても話が頭に入っていかない。諦めて雲いっぱいの窓を眺めていた。
しばらくして、ミックスナッツが配られ、白ワインを頼むと、なんと!!小瓶できた!!
絶対グラスだと思っていたので、嬉しかった。贅沢~!!ラベルにはちゃんとJALと印刷されている(笑)。機内食「チキンの台湾味噌丼・サラダ(ポテト・海鮮等)・蕎麦・お団子」を頂きつつ、白ワインを満喫。機内食を友人にあんまりだよ、期待せんときねと言われていたけど、結構おいしく頂いた。(ちなみに、気圧でアルコールのまわりが早いよとも注意を受けた。T先輩、有難うございます。)ワインのお陰で、すこし気持ちの余裕が出来、後半のフライトはのんびり音楽を聴いたり、本を読んだりして過ごす。

PM0:35(ここから台湾現地時間です。)、台北国際空港第1ターミナル着。入国審査も無事に済み、(特に何も聞かれず、ぽんぽんと判子を押されて、そのまま通過。)出口に向かう。出口では、S君(台湾高雄出身)と大学春休みで先に遊びに来ていた、韓国人のTちゃんが迎えに来てくれていた。二人に「飛行機遅れたね、天気が悪かったからかな。揺れた?大丈夫?」と開口一番に心配される。有難う、二人とも。でも、違うの、私のせいですと白状すると、大爆笑される。S君がYMCA台北に予約を入れてくれたので、国光客運のリムジンバスで市内へ。

PM1:50、YMCA台北の目の前に、バスが到着。フロントの男性に予約は入っていないと言われる。S君は予約したというし、フロントは入ってないと主張。S君がもっている予約メモ?をみせてもらうと、YMCA台北ではなく、台北YHと書いてある。ホテルが全く違う。予約が入っていなくて当たり前だ。フロントの方に平謝り。(何故か、日本人の私だけ謝る。台湾人S君、韓国人Tちゃんは謝らない。国民性なの?ていうか、S君、君のせいだよ。もらった書類は最後まできちんと読みなさいと、前々から何度も言ってるのに。それで科目1つ落としただろうが。いや、私も人のことは言えぬ。)
ぐったりして外に出ると、国光客運のリムジンバスがまだ停まっており、私たちに何処へ行くのか聞いてくる。台北YHだと答えると、車庫に帰るだけだから、ついでに乗っけてあげると言ってくれた。あぁ、本当に、おじさん有難う。日本だと絶対あり得ない。有り難く台北YHまで送ってもらう。
フロントへ行くと、座っているのは若い小姐。フロントで遣り取りをすると、また!!予約は入っていないと言われる。S君は予約したというし、フロントは入ってないと主張。
あぁ、既視感。もしかして、出国で迷惑をかけたので、天罰が下ったの?早いよ!!神様!!
 フロントで台湾語が飛び交い、もめにもめる。途中から、Tちゃんも参戦(彼女は英語だ)。何故だか、そばにいたインド人?の宿泊客も参戦(こちらも英語)。二カ国語が飛び交う中、日本語しか話せない私は、何も出来ず、途方にくれる。
すると、そこへ70才過ぎのおばあさまが現れる。どうやら、騒ぎを聞きつけて、来て下さったようだ。私を日本人と認めると、流暢な日本語で、「どうしましたか?」と聞いて下さる。私が事情を話し、予約メモを見せると、彼女はすまなそうに答えた。なんと、フロントで予約を受けていた方が急に退職し、引継がうまくいってないとのこと。この一週間、同様のトラブルが発生しているとのことである。ホテルの事情は分かった。ならば、取り直すのみだ。だが…。「ごめんなさい、本日はもう満室なのです。」と本当にすまなそうに、一言。同金額の近くのホテルを幾つか照会してくれたのだが、どこもほぼ満室。彼女は次回来たときは、必ず優先するなど、仰って下さったのだが…。
 しかし、私たちは泊まらねばならない。夜には、新竹からS君の弟さんも来てくれるのだ。台湾到着すぐにして、ホテル難民決定(笑)。

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2006.05.29

台湾雑記1 初台湾2003 出国

日程:2003年3月20日~23日
訪問都市:台北(20日~21日)→高雄(21~23日)


1日目 午前中 小雨 日本→台北

 
AM4:00起床。(何故かというと前日まで仕事がハードで、荷造り出来なかったため。)日本は寒い!!(日本、当日の最低気温は3度。)外は暗い。しかし、これから、熱帯の国、台湾へ向かうのだ。

当時はスーツケースを持っていなかったので、機内へ持ち込める程度の大きさの鞄を用意した。荷物はお土産等を買うため、比較的少ない方が望ましい。(この訪台以後は、友人達の頼まれ物やらで、荷物は毎回、エコノミー限界20㎏を軽く超える。そして、毎回、何を減らすか頭を悩ます。何故、学習出来ないのか。)が、私は大学時代、サークルにて「Sラのどらえ●ん」と呼ばれたほど、旅先へ何でも持っていった。基本が大荷物なのだ。(さすがに今は違い、足りなかったら、現地調達。台湾は何でもある。ただ、常備薬は別。向こうの薬は効きすぎた。市販薬バファ●ン、経験済み。)
とりあえず、一端、詰めてみる→入りきらない→いらないと思われる物を減らす
という、ローテーションを3回ほど繰り返し、ようやっと、荷造り完了。少しでも荷物を減らす為、冬のコートはやめて、スプリングコート。下はノースリーブのニット。寒い。
京都駅発、関空特急はるかへ乗車するため、最寄り駅へ。平日、通勤ラッシュの電車である。世間では、ダウンコートを着込んで、まだ冬の装い。その中に、大荷物を持った軽装の女が乗り込む。この上なく、違和感。そして、迷惑。

関空特急はるか乗車。指定席を取ったのだが、車両には誰もいない。貸し切りか~と少し喜んだが、お手洗いにたった際、前後の車両を見てみたが、誰も乗っていない。もしかして、貸し切り列車!?それほど、乗客がいない。わざわざ指定席を取ったことがちょっと悔やまれる。途中、信号機トラブル?で予定より到着が若干遅れる。この辺りから、これから引き起こすトラブルの片鱗が何となく見え始める。

関空着。JTBのお姉さん(この方には、後に本当にお世話になる。)に、春休みの連休なので出国カウンターが混みますから、早めに空港へ行って下さいねとくどいほど言われていた。しかし、それほどではないだろうと鷹をくくっていた。(つい前に、SARSがあったので。)だが、甘かった。手荷物検査カウンター前には長蛇の列。それも3列に蛇行している。そして、空港アナウンスはひっきりなしに、早く並べと言う。既に、出発時刻には2時間切っている。急いでJALのカウンターにて、チェックインをする。
ここで、未だに謎なのだが、何故か搭乗券をもらえなかったのだ。こちらは海外旅行初心者。搭乗券がないと、出国出来ないと知らない。そのまま、列へ並ぶ。
ようやく、順番が来た。空港係員さんにチケットを提示するよう言われ、鞄にしまっていた(もういらないと思い、パスポートと一緒にさっさとしまっていた。)のを慌てて出して見せる。係員さん待つ。私も分からず待つ。しばし両者、顔を見合わせ、無言。係員さんから搭乗券をと言われ、私、困惑。だって、これ(行き帰りのチケットバウチャー)しかもらってない。泣きそうになって、正直に搭乗券をもらっていませんと白状すると、吃驚される。そして、便名を見て、もっと吃驚される。この時点で、出発時刻40分前。手荷物検査カウンターはざわとなる。
その後の、関空職員さんたちの連携は本当に素晴らしかった。本当に本当に申し訳ない。 
係員さん達に引率され、ダッシュする女。空港中、大注目だ。

まず、私に搭乗券をと言った係員さん①が、どこかへ電話をする。その間に、係員さん②が私のチェックの済んだ荷物を抱え上げ、隣の乗務員専用ゲートを開け、ゲート口で待機。係員さん③が、私の腕を取り、共に検査ゲートを抜け、JALのカウンターへ駆け込む。搭乗券をひっつかむと、再度、乗務員専用ゲートを通過する。走ってくる私たちの姿を認めた②が、先行して走り出す。③は、走りながら、無線連絡をし、私にパスポートを用意するよう告げる。出国カウンターでは、臨時のブースが開かれており、係員さん④・⑤が、出国ブース向こう側で待ちかまえている。②は④へ荷物をバトンタッチ、④は先に走り出す。ここで、②・③とは別れる。⑤と走って、ターミナルへ向かうモノレールに乗り込む。乗り込む瞬間、便の出発時刻が5分遅らされたという放送が、微かに聞こえる。ここで、⑤は④に私の搭乗券を渡し、ターミナル着後、④は先行する。飛行機の搭乗ゲートでは、客室乗務員さんⅠ・Ⅱが待機。④はⅠに荷物と搭乗券を渡し、Ⅰは搭乗券の半券をちぎり、Ⅱに渡し、荷物を座席の上へ。Ⅱは私を⑤から受け取り、走り込むように席へ案内してくれた。シートベルトを締めると同時に、飛行機は予定出発時刻から、10分遅れで出発。 
乗客の皆さん、お急ぎの所、申し訳ない。加えて、大変ご迷惑をかけた、関空職員の皆さんにきちんとお礼が出来なかった。本当にごめんなさい。もうしません。

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